坂と空のあいだに

ブルガリア滞在記や趣味のこと、いろいろ書き留めてみました

ブルガリア滞在記

 

ヴァルナ

ブルガリア第3の都市ヴァルナです。この都市は1949年~56年までは「スターリン」という名前でした。
ブルガリアの北東部に位置する黒海沿岸の港湾都市。人口は約30万人で機械工業、造船業、製材業が盛んです。また家具、陶器、衣料、食品などの工場も多く点在します。
ヴァルナ近郊にはたくさんの避暑地があり別名『夏の都市』と呼ばれ、夏にはドイツやオーストリア、ウクライナ等からのチャーター便も飛んでいます。さらにこのヴァルナは世界最古と言われる黄金文明が栄えたことでも有名です。


ブルガス~ヴァルナ間

ブルガス」をお昼過ぎに出発しヴァルナに向けて黒海沿岸の道を北上しました。途中雲行きがあやしくなってきましたが、天候回復を祈りながら車を走らせました。
ブルガス~ヴァルナ間の道には途中に保養地で有名な街「ネセバル」がありますが、この時は立ち寄らずまっすぐヴァルナに向けて直行しました。この海沿いの道には途中山越えポイントがあります。
私達の期待に反しその山を登り始めるとどんどん天候が悪化。とうとう恐れていた雪が降り始めました!

雪の中、立ち往生する車

雪の山道ほど怖いものはない・・・。

この時も引き返そうかこのままヴァルナに向かうか悩みました。スノータイヤやチェーンを装着していない車が立ち往生するのを見て「もう戻れないからこのまま進もう」と決断。私達の車はジープでスノータイヤをつけていましたが、それでもカーブを曲る時はツルツルすべって怖かった!!
私はほとんど半泣状態。新雪の上を走るってこんなに怖いことだったんだ・・・。

ホテルから海が見えました

なんとかゆっくり運転して無事ヴァルナに到着。
ヴァルナでも雪が降っていましたが除雪車が出ていたので車が走るのには問題ありませんでした。

私達が泊まったのはヴァルナ市内から少し離れたところにある「グランドホテル・ヴァルナ」。ヴァルナでは一番大きなホテルで夏には避暑地に遊びに来る人でいっぱいになります。私達が行ったのは11月の終わりくらいだったので人も少なくゆったり過ごせました。

この日の夜豪雪の為、ホテルが一時全館停電に!ちょっとしたハプニングでした。

大聖堂

街の散策を開始。
この大聖堂はヴァルナの象徴で、この大聖堂前の広場からは各主要都市に向かう長距離バスやヴァルナ空港に向かうバスが発着しています。ちなみにこの大聖堂は1866年にロシアのペテルブルグ様式を取り入れて建築が着工され、1910年にようやく落成したそうです。内部にある木彫りの祭壇はマケドニアの巨匠達の作品で、中央に描かれている壁画は1950年に描かれたものなんだとか。

時計塔

さきほどの「大聖堂」の対面には時計塔が建っています。この時計塔は1880年に建築されたものなのです。時計塔の入口には(写真下)プレートが掲げてあって、そこにはこう書いてありました。

『1876年、スレドノゴーリエにおける4月蜂起での指導者の一人であり、ブルガリア労働者社会民主党(後のブルガリア共産党)員でもあるオトン・イヴァノフ(1850-1932年)は解放運動の後ここに勤務する』《訳:だんな》

時計塔のプレート

このオトン・イヴァノフは「プロヴディフ」生まれ。ギリシャ人学校に通っていましたが、その学校を修了する頃に「自分の父親がブルガリア人だった」ということを始めて知り、ブルガリア語の勉強を始めます。
実はこのお父さんも時計職人でオトンもその後時計職人になります。「パザルジク」に移り住んだオトンはその地域(スレドノゴーリエ)でブルガリア解放運動に全力で取り組み、解放運動の後この時計塔で職人として勤務したそうです。

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