坂と空のあいだに

ブルガリア滞在記や趣味のこと、いろいろ書き留めてみました

ブルガリア滞在記

 

コプリフシティツァ

リュトフ・ハウス

4つ目の家はこれまで紹介した革命家や作家などの偉人が生まれたり育ったりしたという話はありませんが、コプリフシティツァにおいて建築学的、また民俗学的に価値があるのだとか。

1階部分(半地下)の部屋には幾何学模様をあしらった絨毯が展示してありました。また2階の天井は丸い形でそこには何種類もの絵画が描かれていてとても綺麗でした。

レストラン『リーベンじいさん』

さて、ここまでハウス・ミュージアムを見回って少し疲れたのと、お昼をとっくに回っていましたがまだご飯を食べていなかったのでお腹がペコペコでした。しかも外は寒く体がすっかり冷え切ってしまいました。
中央広場の前にトポルニツァ川にかかる橋があり、それを渡ると正面にレストランがありました。門をくぐると左手には『レストラン』、右手には『暖炉』という名前の民族料理店です。私達はあまりにも冷え切っていたので大きな暖炉のある右手の店に入って腹ごしらえです。

カラヴェロフ・ハウス

レストランを出てすぐに右に曲がって1-2分のところに5つ目の「カラヴェロフ・ハウス」があります。
リューベン・カラヴェロフは革命家レフスキーと共にルーマニアで「ブルガリア革命中央委員会」を組織しました。文才に優れていたカラヴェロフは機関紙『自由』の発行に専念しブルガリアの解放運動啓蒙に励んでいました。しかしブルガリアに帰国してすぐに肺を患い翌年にこの世を去りました。

この家には「夏の家」「冬の家」「作業場」の3つの建物があり作業場には『タルノヴォ憲法』(オスマン・トルコからの独立後最初に制定された憲法)を印刷した輪転機が展示されています。

ベンコフスキ・ハウス

いよいよ最後の6つ目の家。4月蜂起に参加した革命家の一人でもあるゲオルギ・ベンコフスキの生家です。
今まで見てきた5つの家とは違い、とっても造りがシンプルです。2階中央部分にあるベランダには、4月蜂起で使った木の大砲(さくらの木で作ってあるそうです)の模型が飾ってありました。そのそばには鉄球も置いてあり、それを大砲に入れて飛ばしていたそうなのですが、大砲があまりにも小さかったのでそれを使って飛ばすより砲丸投げをしたほうが飛ぶような気がしました。

ゲオルギ・ベンコフスキ像

ゲオルギ・ベンコフスキは22歳までこの家に住んでいましたが縫製職人見習としてその後イスタンブールに渡リます。
修行の末、大成しプロヴディフで自分の店を構えるまでに至ったのですが共同経営者の友人に売上金を持ち逃げされ倒産。この村に戻ったベンコフスキは革命運動に身を投じて・・・

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