坂と空のあいだに

ブルガリア滞在記や趣味のこと、いろいろ書き留めてみました

ブルガリア滞在記

 

コプリフシティツァ

オスレコフ・ハウス

この村には6つのハウス・ミュージアムがあります。ここは全国で初めて「美術館都市宣言」をした村で「新しい建物を建てる時、必ずこういった昔の建て方をする」という決まりがあるんです。

まずは1つ目のハウス・ミュージアム「オスレコフ・ハウス」。ここで6つのハウス・ミュージアムの共通入場券が買えます。
豪商ネンチョ・オスレコフは縫製業で一旗挙げた人。4月蜂起に参加して逮捕されプロヴディフの刑務所で絞首刑になったそうです。

出征した息子を待つ母の像

2つ目のハウス・ミュージアムは20世紀初頭に活躍した詩人「ディムチョ・デベラャノフ」の生家。デベリャノフは4月蜂起の時代ではなく、その11年後に生まれた人物。
デベラャノフは第一次世界大戦に出征し30歳の若さで戦死。出征したデベラャノフの帰還を待ちつづける母親の銅像がこの庭にあり、それを見ているとなんだか切なくなります。ちなみにこのお母さんのお墓は近くの「聖母就寝教会」にあり、そこからはコプリフシティッツァの町が一望できます。

カブレシコフ・ハウス

この家は4月蜂起の指導者「トドル・カブレシコフ」の邸宅。他の家と違い少し変わったデザインで、これはコプリフシティツァで一番の職人「ゲンチョ・ムラデノフ」がプロヴディフにある屋敷のスタイルで建てたものなんです。

ちなみにこの家はコプリフシティツァで最初のハウス・ミュージアムとして1932年から公開されています。ただし月曜日は休館日なのでご注意を。

カブレシコフの銅像

1876年、トドル・カブレシコフは20代半ばにしてコプリフシティツァ革命委員会の委員長に選出されました。
彼は4月蜂起の開始を宣言した人物でパナギューリシテの同胞に以下のような手紙を送って蜂起を促しました。

今まさにこの手紙を書いている時にも、警察署の頭上には我々の旗がはためき、教会の鐘にこだましながら大砲が鳴り響き、通りでは若者達が抱擁し合っている。同志よ!もし君たちが真の愛国主義者であり、自由の使徒であるならばパナギューリシテのみならず全地区においても我々のように立ち上がれ!前進せよ!同志たちよ!神は我々の味方だ。カブレシコフ』(訳:だんな)

4月蜂起発端の石橋

実はこの蜂起は当初5月1日に予定されていましたが同じブルガリア人の密告者によって蜂起計画がトルコに漏れてしまいます。そこで4月19日にトルコ警察部隊がこの村にやってきて指導者のカブレシコフを逮捕しようとしたのです。
これに対して翌20日、カブレシコフ達は村の警察署を襲撃。右の写真の石橋で最初の銃声が響きました。これが4月蜂起の発端です。

上述の「蜂起開始宣言」はこの時に殺害されたトルコ人役人の血で書かれたものだそうです。

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