坂と空のあいだに

ブルガリア滞在記や趣味のこと、いろいろ書き留めてみました

ブルガリア滞在記

 

コプリフシティツァ

コプリフシティツァはソフィアの東約110kmのところにありスレドナ・ゴラ山脈の中(標高1060m)のトポルニツァ川沿いの町。食器製造業、メリヤス製品製造業、林業、畜産業が盛んです。
1876年4月20日、この町で起きたトルコ人役人の殺害事件が「四月蜂起」の発端となりました。ベンコフスキ(「四月蜂起」指導者の一人)やカブレシコフ(「四月蜂起」指導者)、マジャロフ(政治家)やカラヴェロフ(評論家)、デベリャノフ(作家)、グルエフ(啓蒙家)等の偉人を輩出した町としても有名です。


 

道の途中で

今回の「ソフィア」出発は午前11時過ぎ。本当はもう少し早く家を出る予定でしたが毎度のこと私がトロトロしていたので出遅れてしまいました。

右の写真はコプリフシティツァの村の手前約15kmほどのところで撮影しました。この日は風も冷たく寒かったので途中雪がちらほら舞い始めていました。本格的な冬が到来する前に来られてよかった。
いつものことながら道のまわりは何もない野原!走っていてとっても気持ちが良かったです。

コプリフシティツァ駅

何もない道をひたすら走り続けるとポツンと建物が一つ見えて来ました。近づいて見ると「コプリフシティッツァ駅」と書いてありました。
村からこの駅までは10kmくらい離れていて列車の発着に合わせて町と駅とを結ぶ連絡バスが走っているそうです。ちょうど私達が駅構内に入ると列車が止まっていました。この駅の周りは何もない辺鄙なところ・・・。この駅に取り残されたら大変なことになりそうです。

コプリフシティツァの入り口

さきほどのコプリフシティツァ駅から車を走らせること約10分。コプリフシティツァに到着です!

村の入り口には「コプリフシティツァ」と書いてある看板や門柱も建っていました。ソフィアから車で約2時間。コプリフシティツァに着いたのはお昼過ぎでした。

街の中心

この村は14世紀にオスマン・トルコの進撃によって土地を追われた人達がこの山奥に隠れ住んだことから始まりました。実際、山の中に突然この村が現れます!「隠れ里」という感じ。

ふと村の建物を見ているとなんだか「プロヴディフ」にいるような感じ。それもそのはず、19世紀中頃の拡張期に商業都市プロヴディフの屋敷にここの村の人々は影響を受けそのスタイルがそのまま村の邸宅に取り入れられたそうです。

4月蜂起記念碑

コプリフシティツァの中心にある広場には4月蜂起記念碑があります。この4月蜂起の発端となった事件はこの村で起こりました。
1876年4月19日、トルコの警察部隊がこの村に到着しこの地の指導者であるカブレシコフを逮捕しようとしました。これに対して翌20日、カブレシコフらは村の警察署を襲撃します。ここに最初の銃声が響き渡り4月蜂起が始まりました。

この知らせを聞いた「パナギューリシテ」でも同日これに続くかのように蜂起が始まったそうです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です