コテル
コテルはバルカン山脈東部に属するコテル山系の中にある小さな盆地。 この町の名前も「盆地」というブルガリア語(コトロヴィナ)からきています。ソフィアから東方328kmのところにあるこのコテルはブルガリア東部の南北を結ぶ幹線沿いにあり交通の要衝でもあります。またペータル・ベロンやソフロニィ・ヴラチャンスキなど19世紀の啓蒙活動をリードした人物を輩出した町としても有名です。
しかしながら最近この町での失業率が高く町には失業者が溢れています。人口は7768人(1998年現在)で主な産業は繊維製品、木材加工、絨毯織物です。
「ジェーラヴナ」を出て少し北上したところに「コテル」という町があります。この町は以前から旦那が行きたがっていたようで近くまで来たので少し立ち寄ってみることにしました。
右の写真はそのジェーラヴナからコテルに向かう道の途中で撮りました。本当に周りに何もないでしょう?ただ道が一本続いている。なかなか綺麗だなと思ったので一枚撮っておきました。
いよいよコテルへ到着。私達を迎えてくれたのは町の入口にある石で出来た2本の柱。
この門らしき所から村まではまた少し距離がありました。
この門は昔の遺跡らしいのですが何世紀のものか忘れてしまいました・・・。今でも町を守るように静かに立っていました。
この胸像の人物は「ソフロニィ・ヴラチャンスキー」という僧侶です。
「ブルガリア人はもっと自己の歴史と言語に対する誇りを持つべきだ」と謳った民族覚醒の先駆者パイシー・ヒレンダルスキーの意思を受け継いだのがこのソフロニィです。19世紀前半、彼はブルガリア語の出版物を出したりして文化活動に励んでいました。しかしながら最終的には時期尚早だったのか、ブルガリア人が一致団結するまでには至らなかったそうです。
コテルの町には「旧市街」と「新市街」があり「旧市街」の方は昔ながらの木造建築の家が数多く現存しています。
ただ、この町は全体的に少し暗いイメージがしました。というのも、やはり失業率が高いせいでしょうか。人々も少し暗い感じでした。
町の人の話だと「町のほとんどの人が失業している」とのこと。私達にお金目当てで「町案内してやろうか」って寄ってくる人も多くいて少し怖かったです。
オスマントルコに支配されていた時代、ブルガリアではギリシャ語での教育が主でした。しかも教育と言っても日本で言うなら「寺小屋」みたいなところで、修道院や教会での「聖職者養成」という目的しかありませんでした。商業を営む上でもギリシャ語というのは必要不可欠だったようです。
しかし、徐々にブルガリア人がギリシャ化してしまうのに危険を感じたブルガリア知識人が「ブルガリア語の教育」を訴え始め、この「ペータル・ベロン(1800~71年)」が1824年に『魚の入門書』として有名なブルガリア語の入門書を出版します。
そして1835年に初めてブルガリア語学校が開校することになりました。
このペータル・ベロンさん、実は今のブルガリアのお金「10レヴァ札(日本円で500円くらい)」に載っている有名な方なんです
ペータル・ベロンの銅像の近くに「民族博物館」があり、こちらも見学しました。というのも、実は『ソフロニィの生家』を見学したいと思っていたのですが、地元の人に尋ねたら「誰も知らない」と言うんです!で、案内されたのがこの博物館。どういうこと??
ちょっと想像していたよりも町の雰囲気が良くなかったので、1時間も滞在することなく次の目的地に出発しました